親子の縁
こんにちは。
毎日、暑いですね!
コロナのことも気になりますが、熱中症にも気をつけないとですね。
くれぐれもご自愛ください。
さて、前回は夫婦の縁について書きましたが、今回は親子について書きます。
やっぱり、親子として生まれてくるということは、強い因縁があると思います。
夫婦は別れれば他人だけど、親子は一生、親子ですものね。
今世で親として、子として生まれてきたのは、その関係性でしか学べない何かがあるからでしょうし、その関係でカルマを果たすことができれば、深い気づきや悟りを得られると思います。
なかなか難しいことだと思いますが。
昨今、親子関係のトラブル、虐待などがニュースになることが多いです。
何とも悲しいことです。。。
子供は親の所有物じゃないですし、子供にとっても、親がいて当たり前、何でもしてくれて当たり前ということではないですね。
親子で遠慮がいらない関係だとしても、お互いに相手を思いやって、大切にすることは必要だと思います。
それで初めて、カルマも解けるのだと思います。
家庭は社会の礎ですよね。
社会の最小の構成単位は家庭ですから。
だから、家庭がガタガタしてたら、社会も悪くなってしまいます。
時々でも、家族の存在に感謝し、相手が喜ぶようなことをしてあげるのも良いのではないでしょうか。
その思いが、あなたを成長させてくれると思います。
自分もたまには親に何かをしてあげないと(笑)。
親や先祖は過去の自分。
そこを足場にして、今の自分が存在します。
子供は未来の自分です。
家族を大切にするということは、自分を大切にするのと同じことですね。
今日でお盆も終わりですが、先祖に今の自分がいることに感謝したいものですね。
子供のいる方は、今はコロナの休校や夏休みで、子供がずっと家にいて大変だと思います。
これも貴重な経験をする機会を与えられたと考えて、子供との時間を有意義に過ごせると良いなと思います。
いま、この時代に親子として生まれてきた大事な縁。
こういう形で生まれてくることは二度とないかもしれない大事な縁を、大切にしていただければと思います。
夫婦の縁
こんにちは。
このブログを始めてどれくらい経ちますかね・・・
いつも思い付きで書くことが多く、読んでいただいてるみなさんには、分かりづらい部分もあるかもしれません。
書いてるうちに脱線して、「あれ?違うテーマを書くはずだったのに。」という感じなので。
一応、いろいろな人に当てはまるように書いてきたつもりなので、抽象的な表現が多く、それも分かりづらさの一因だったかもしれませんが、お許しくださいm(__)m
少しでも伝わるものがあったなら、幸いです。
今日は原点に返って(?)、「夫婦の縁」について書こうと思います。
結婚て、やっぱり特別なものがあると思うので。
もしかしたら、結婚してみて、幻滅した人も多いかもしれませんが(笑)。
「こんなはずじゃなかった!」なんてね。
それで不倫に走ってしまったり、離婚することもあるかもしれません。
全く違う環境で育ってきた者同士が一緒に住むんですから、大変なのは当然ですよね。
そこから、忍耐力や相手の立場に立って考えることの大切さを学び、人間的に成長していく訳ですが。
結婚はゴールじゃなく、結婚しなきゃ学べないことを学ぶために結婚するんじゃないかと思います。
夢を壊すようで申し訳ないけど(笑)。
そして、二人を結びつけたのは、この世界を超えた大きなチカラ・・・です。
もともと、一緒になるような深い縁があって、大きなチカラに引き寄せられたのですから、もし本当に心の深いところでつながることができたら、できないことは何も無いと思います。
すごい悟りを得ることができると思います。
けど、お互いに自分の了見を越えられないうちは、大きな困難にぶつかることが多いと思います。
それが普通かもしれませんが。
本当に相手とつながるには、自分という殻を持ってたら、つながれないです。
お互いに自分を強く主張してたら、当然、衝突も多くなります。
それでも、相手を思う気持ちがあって、「相手の幸せを願って」いろいろしてると、次第にカルマを越えたところで二人の関係を見られるようになります。
自分の立場も相手の立場も越えた、より高いところから、二人の関係を客観的に見られるようになる。
いつの間にか自分という殻を破って、大きな自分に成長したということです。
自分も相手も包み込めるような深い愛を持ち、接することができるようになる。
それこそが苦労して得た、お金じゃ買えない大切なもの・・・じゃないでしょうか。
大変だけど、それくらいの苦労をしないと、カルマが解けないということでもありますね。
反対に、苦労しないでもうまくいく組み合わせもあると思います。
一緒にいるだけで気分が良くて、良いことが次々と起こってくる。
そういう順縁、良縁の夫婦もいると思います。
そこで、「せっかく出会った良縁の相手なのだから、このままずっと一緒にいたい」と思うかもしれません。
けど、とどまることは自己保存の本能、つまり物質主義的な価値観に基づくことを意味しています。
良縁も結局は尽きてしまうものです。
万物は全て流転するのが宇宙の法則です。
一瞬でもとどまることはできない。
その流れに逆らって今の状態を維持しようとすることは、やがて負のカルマを作り出していくことになるかもしれません。
昨日より今日、今日より明日と成長していくことが、宇宙の意思です。
その意思と自分の意思が一致する時、人は栄えていくことができます。
逆行する時、その存在や関係性は壊れます。
不思議なものですね。
維持しようとすると壊れてしまうなんて。
そして、違うもの同士を調和させていくことが新しいものを生み出していく原動力になります。
本当に大変なことだと思いますが・・・
命を懸けるくらいの気持ちが無いとできないことかもしれませんね。
それくらいの覚悟を持って結婚に臨んでほしいと思いますが、今は何でも自分中心の世の中です。
安易なほうに流されていく風潮なので、ここで書いたことはあまり理解されないかもしれません。
けど、心の片隅にでも置いておいていただければ幸いです。
今朝の東京は晴れてきました。
そろそろ梅雨明けでしょうか。
また暑くなってくると思いますが、体調に気をつけて過ごしていきましょう。
思い
こんにちは。
今日は「思い」について。
「念」と言っても良いかもしれませんが。
よく「類は友を呼ぶ」なんて言います。
似たような考えの人が自然と集まって仲間を作るということですね。
人の念は、その波長に応じて、同じような波長の人や霊を引き寄せます。
そう考えると、ネガティブな念を持つことがいかに勿体ないことか分かりますよね。
また、神さまは、自分の中に世界を作られました。
そう考えると、この世の全てのものは神の現れの一部です。
どんなにネガティブに見えたとしても、それは物事の一面で、その裏には必ず神さまの働きがあります。
つまるところ、その神さまの働きを知ることが、この世で人間に課せられた使命の一つです。
だから、本当は何も心配することはない。
あれがいい、これが良さそうだと心が定まらないのは、神さまを捉えることができてないから。
結局、自分で迷いの世界を作り出し、自分で自分を苦しめているだけ。
神さまの働きを知ることができた時、人は有限の存在から無限の存在へと成長します。
無限の存在となった時、全てのつながりが理解できて、孤独ではなくなります。
そう、人は一人じゃないです。
まずは物事のポジティブな面を見られるように。
そうして波長がポジティブになれば、周りにもポジティブな人やものが集まってきます。
ポジティブな面を見ていこうと決心するだけでも、人の波長は変わるものです。
そうなれば、しめたものです。
いろいろ大変な世の中ですが、前向きに生きていきたいものですね。
逃げ道
こんにちは。
引き続き、関東は梅雨空ですが、西のほうは梅雨の終わりが見えてきた感じでしょうか。
明けたら明けたで猛暑が待ってるので、夏が苦手な人は多いかもしれませんね。
女性は紫外線が気になるでしょうし。
自分は夏生まれなので夏は好きですが、最近は暑すぎですね。
体調に気をつけたいですね。
さて、今日のテーマですが。
「逃げ道」。
これは反省しなきゃいけないことなのですが、例えば男の人って、理詰めで相手を打ち負かして、得意げになることがあると思います。
それじゃいけないなと。
まずは相手の気持ちに寄り添って共感すること。
それが後々、良い関係を築くのに必要かなと思います。
逃げ道をふさいで追い詰めると、後になって関係が悪くなりますね・・・
自分の言ってることが正論だとしても、逆恨みされると、負の念を作り出して、それが自分の足を引っ張ることがあります。
なかなか感情を理解するのは難しいですね。
けど、相手がそう感じるのだから、それはそれとして認めないといけないなと思います。
特に仕事で、普段から論理的整合性ばかり気にして考えてると、仕事と関係ない人と接する時も論理的に考えがちです。
心を柔らかくして、固定観念や論理性にとらわれないようにしないと、と思いました。
もちろん、現実的に論理が大事な場面は多いですが、それだけだと人生つまらないですからね。
相手の気持ちを理解する余裕を持ちたいものですね。
難しい問題
こんにちは。
本日で4連休も終わりです。
この連休中は天気が良くなかったですね。
東京はGoToキャンペーン除外だったので、ちょうど良かったです(笑)。
4日間、食料品や日用品の買い物以外は出かけませんでした。
ところで、最近、「優性思想」が話題に上ってますね。
ネットで「優性思想」を調べると、以下のように書いてありました。
「身体的、精神的に秀でた能力を有する者の遺伝子を保護し、逆にこれらの能力に劣っている者の遺伝子を排除して、優秀な人類を後世に遺そうという思想。
優生学の成果に立脚する。
人種差別や障害者差別を理論的に正当化することになったと言われる。」
命を選別するということで、危険をはらんだ考え方のように見えます。
ロックバンドのRADWIMPSのヴォーカル、野田洋次郎さんのツイートが、それを想起させるということで、話題になっていました。
どういうツイートだったかと言うと、
「前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。」
批判のコメントが殺到すると、
「めちゃめちゃ真面目に返信してくださる人いますが冗談で言っています、あしからず」
と、のちにツイートしていました。
冗談にしてはちょっと・・・という感じですが。
もちろん、冗談ではなく、本音で言ってると思います。
このバンドの曲は好きなんですけど・・・ね。
野田さんは本当に愛国者で、この国を思う気持ちからそういうことを言ったのでしょうけど、いろいろ微妙な問題を含む話題なので・・・炎上してしまいました。
命に優劣を付けるということは、一歩間違うと、神奈川県の障害者施設で起きたような事件へと発展する可能性を秘めています。
最近、ALS患者を安楽死させて逮捕された医師の一人が、
「高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄(す)てるべき」
と、ネット上で発信していたと報じられていました。
障害者施設の事件の犯人も、上記の医師も、自分たちの都合で命に優劣をつけるという点で、根本的な考え方は似ているような気がしました。
それはあくまでも、物質的な世界の価値観に基づいた判断で、永遠の立場から見た判断とは相容れないものです。
スピリチュアリズムを抜きにして考えても、非常に利己的で傲慢な感情に基づいていると思います。
もちろん、別の視点として、生きてることの辛さや苦しみから逃れたいという気持ちから、自ら死を望む場合もあると思います。
安楽死したALS患者の女性も、「疲れ果てた」と周囲に漏らしていたと言います。
本当に難しい問題です・・・
一つ言えることは、人はあちらの世界から、限られた時間の中で、この世界でしか学べないことを学びにやってきた、ということです。
霊的に成長するため、自ら課題を持って、この世界にやってきています。
それを途中で放棄するということは、課題を先送りしたのと同じことなので、また一からやり直しになってしまいます。
それでも、辛いものは辛い。
何とか抜け出したい、救われたい。
そう思う気持ちも分かります。
自ら死を選ぶような状況になってしまったこと、そして、そのニュースを共有することになった私たちも、そこから学ばなければならないことがあります。
生きてて良かったと・・・
そう思えるような社会にしていかなければならないということ。
一方で、将来の世代のために命を選別しなければならないと考える人もいて。
そのせめぎ合いの中で、人は生きることの意味や、この世界で学ぶことの意味を悟っていくのかもしれません。
永遠の立場から物事を見ていかないと、世の中は非常に刹那的で殺伐としていってしまいます。
せっかく生まれてきたのだから、充実して生きたいし、生きてて良かったと思いたい。
いつ選別されるかもしれないなんて思いながら生きるなんて、息苦しいです。
幸運
こんにちは。
昨日から4連休ですね。
相変わらずグズついた空模様で、強い雨が降ることもあるかもしれません。
気をつけて過ごしたいですね。
東京は新型コロナの感染者数が増えてきましたが…
何も対策してないので、予想通りですね。
原発事故の時と同じで、政府の基本方針は利権を守ることと、経済活動優先です。
そう考えれば、今後、どのように対処していけば良いかも分かると思います。
上の人が考え方を変えない限り混乱は続きますが、それも次に進むために必要なことと考えるしかないです。
とは言え、行き詰まってから気づいたのでは遅すぎます。
言われてからやるんじゃなく、気づいたらすぐに改めることが大事なのですが。
原発事故の時は、いくつもの偶然が重なって、奇跡的に破局を免れました。
その幸運の上に私たちは立っています。
感謝してもしきれない幸運です。
そこにあぐらをかいて、やりたい放題やっていい訳がないです。
当たり前のように見えるこの生活も、実は当たり前じゃない。
大きな力によって支えられています。
謙虚さと感謝の気持ちを忘れないようにしたいですね。
サステナビリティ
こんにちは。
このところ、災害続きで不安定な日が続きますね。
日頃から気を引き締めて過ごしたいものですね。
ところで、サステナビリティという言葉をご存知でしょうか。
訳すと「持続可能性」という意味です。
最近、人類の持続可能性とか、企業の持続可能性とか言われることが増えてきました。
ある集合体、組織が持続していくためには、周りへの配慮が必要になってきます。
自分や自分と利害関係にあるものだけ優先してたら、結局は共倒れになってしまいます。
そういう意味で、持続可能性は共存共栄の考えを内包していると思います。
一方で、世界を見渡してみると、政策の方向性はナショナリズムで、自国優先主義が台頭してきていますし、同時に個人レベルでも、自分を守るという働きが強く出てきています。
したがって、持続可能性という考えとどのように折り合いをつけていくのか、難しい選択を迫られていると言えます。
本当に単純なことですが、自分がされたら嫌なことは人にしないというのは、基本だと思います。
自分さえ良ければ良いと思っているほど、目の前のことしか見えなくて、先のことが分からなくなっていきます。
すると、周りを巻き込んで、負の連鎖が起こってしまいます。
また、目の前のことで政策や考えがコロコロ変わるから、世の中が混乱していきます。
自分だけでなく、周りのことも考えて行動すること。
周りというのは、自分と直接的な利害関係にある人だけじゃなく、もっと広い視点から見るようにすること。
このコロナ禍で、地球は一蓮托生ということが強く印象付けられたと思います。
国レベルでは、グローバル化で国と国との関係が密接になり、個人レベルでも、SNSなどの情報網の発達で、離れている人と簡単につながることができるようになってきました。
そうなると、自国のことだけ、自分のことだけ考える訳にもいかなくなってきます。
もちろん、自分や自分の国を守るということも大事だし、その辺はバランスの問題になってきます。
地球は過渡期を迎えています。
これから、今までの資本主義経済は変わらざるを得なくなってきますし、共産主義も民主主義も、特定のイデオロギーはどれも変わらざるを得なくなってきます。
したがって、本質を見極めていかないと、混乱に巻き込まれることになってしまいます。
スピリチュアリズムをよく理解している人なら、きっと分かると思いますが・・・
このブログでも書いてきたことです。
また同じことの繰り返しになってしまいますが、今後も本質的なことを少しずつ書いていきたいと思います。