スピリチュアル色は薄めです。 普通の人間関係にも当てはまるような形で書いています。

超える

こんにちは。

 

少し時間が経ってしまって、すみませんm(__)m

前回の記事で、自分を超えることについて触れました。

今回はその続きです。

 

自分を超えることに何の意味があるのか?

 

一般的には自分の可能性を広げる、自己実現をする、ということになると思います。

 

確かにそれもあると思います。

誰でも、自分の可能性を広げたいと思いますよね。

 

そこには目的があって、それを達成するために努力をする。

 

けど、そこには自分という主観、目的という客観があって、「自分」というものから完全に自由になっているわけではないですよね。

 

精神的、霊的な意味での「自分を超える」ということは、「自分」から自由になるという意味があります。

 

自分から自由になることによって、物の原理・・・自己保存の本能から離れ、自他の区別なく、自分も他者も支え生かすことができるようになります。

 

自己愛から、もっと広い愛で全体を包み、支えることができるようになる。

 

自分を守るため、自分の幸せのために他者を犠牲にすることはやむを得ない・・・というのは、やっぱり自己愛の領域から出ていないし、自分を超えていないということになります。

 

もちろん、最初は目的があって当然だし、自己愛があって当然です。

そこから始まるわけですから。

自分を愛せない人が他者を愛することはできないでしょうし。

 

けど、霊的に成長していくと、だんだん結果にこだわったり、結果を恐れたりしなくなり、常に最善を尽くして行動できるようになっていきます。

そして、相手の立場も考えた上で行動できるようになっていく。

 

その人が本当に霊的に優れているかどうかを見極めるとしたら、その点を見れば判断がつくような気がします。

 

自分の目的だけ立てようとしていないか。

自分の欲求を満たす、自分の身を守ることが一番の目的になっていないか。

 

前に書いたように自分を超えるには、今の自分の状態をやめる、壊すという試練もありますから、痛みを伴うこともあると思います。

(それが自分の中で消化できないと、自死自傷という行為、あるいは他者を傷つける行為として現れる場合があるので、注意が必要です)

 

決して、無理せず、自分のペースで。

天の声に耳を傾けつつ、現実とのバランスを取りながら進んでいきましょう。