スピリチュアル色は薄めです。 普通の人間関係にも当てはまるような形で書いています。

深淵の時

こんにちは。

 

ここ数日、本当に寒い日が続いてますね。

インフルエンザも流行ってて、自分の周りにも罹っている人がいます。

みなさまもお気をつけください。

 

さて・・・近頃ニュースを見ていると、本当に気が滅入ることばかりです。

かと言って、自分ひとりの力ではどうすることもできず、歯がゆい気持ちです。

 

近視眼的に目の前のことを見て、対症療法的に何とかしようとしても、根本的な解決にはなりません。

元の元から直さないと、また元に戻ってしまいます。

 

とは言え、この世に存在するものは、全て存在を許されているから存在しています。

「自分が正しいから、相手が改めるべき」と思うこともあるでしょうが、そのような関係を引き寄せているのは自分のカルマが原因とも言えます。

だから、お互いに考え方を変えていく必要があるかもしれません。

 

人間は一人では存在できない。

他者がいて、はじめて自分が自分であることを認識できます。

 

もし、生まれてすぐに誰もいない陸の孤島に一人置き去りにされたら・・・

オオカミ少女みたいに動物に育てられたとしても、言葉を覚えることもできず、自分が何者なのか、考えることすらできませんね。

 

そういう意味で、人間関係は大切です。

どんなに嫌な人であっても、自分が何者なのか考えさせてくれる大切な存在かもしれないですし。

実際は、その人から迷惑を被っていたら、そんなふうに考える余裕は無いかもしれませんが・・・ね。

 

「絶対」と言うのは、この世には無いです。

もし、絶対的なもの(仮に神様とします)を「見た」とか「感じた」としても、それは神様の働きの一部に触れただけです。

神様そのものではない。

 

神様が自分の中に宇宙を作ったとするなら、その外側はどうなっているのでしょうか?

 

この世を超えた世界だから、もはや人間の知覚の対象にならない。

けど、もし心の目を開いて、一端でもその世界を垣間見ることができたら。

 

底無しの深淵の中で、自分という存在が消えていくことに気づくと思います。

絶対的なもの・・・「無」だからです。

相対的な存在は消えていくしかありません。

 

ネバーエンディングストーリー」という映画は、少しそういうテーマに触れていたと思いますが、興味のある方は見てみてください^^

 

宇宙の外側は「無」かもしれないけど、この宇宙の中では、全て生まれつつあって、流転しています。

全ての命は生かされています。