必要とし、必要とされること
こんにちは。
今日の東京は良い天気です。
日差しの温もりを感じられますが、夕方からまた冷えると思いますので、出かける方はあたたかくして、お出かけください。
さて、今日のタイトルですが。
よく歌詞の中にも出てくるような言葉ですよね。
それだけ、人は誰かを必要とし、誰かから必要とされたい・・・そう思うのでしょうね。
一人だけでは生きられないけど、誰かと強い絆を築くことは本当に大変です。
ある時は助け合った仲でも、時に傷つけ合うこともあります。
人間関係は本当に難しいです。
いろいろな利害とか感情が伴うと、さらに関係が難しくなって。
時々、自分を取り巻いてる利害や感情を取り去って、素の自分、裸の自分になって、相手のことを見たいなと思う時があります。
いくら内観して自分の心の奥深くを覗いても、日常の喧騒やしがらみに身を置くと、やっぱり心は乱されますからね。
家族はそういうしがらみを取っ払って、心を許せる貴重な存在と言えるかもしれません。
社会の礎は家族で、夫や妻、子供に対する思いがしっかりしてないと、社会はだんだん乱れていきます。
今は自分の思いや欲が優先で、それを満たすためには人がどうなろうと関係ない、「今だけ、カネだけ、自分だけ」なんて言われてますけど、これからの日本がどうなってしまうのか、本当に心配になります。
人の心に寄り添うには、自分が必要とされてるという実感が必要で、人との交流が希薄となってきた現代では、特にそういう傾向があるのかもしれません。
それでSNSなどに居場所を求めたりするのでしょうけど、これまで書いてきた通り、本当の心の安定は外に求めても得られないものです。
社会の上に立つ人がそれを理解していないから、表面上だけ取り繕ったような社会になって、殺伐として刹那的な関係が増えていきます。
少しずつ、それに気づいた人も増えてきてるし、気づかせようとする動きも起きてきています。
しばらくは「産みの苦しみ」のような大変な状態が続くかもしれませんが、少しずつでも良い方向に向かうように願いたいです。