スピリチュアル色は薄めです。 普通の人間関係にも当てはまるような形で書いています。

心の成長

こんにちは。

 

ここ何回かの記事は少し抽象的な内容で、分かりづらい部分もあったかもしれません。

すみませんm(__)m

分かりやすく説明すると言うのは、難しいですね(-公-;

 

要するに「相対的」というのがキーワードになるのですが、この世では、物事は他との比較によって成り立ってるということです。

(あくまでも、この世では・・・ということですが)

 

善を行うには悪も必要だし、それは神さまに存在を許されてるから存在してると。

 

今までの考え方だと、悪は消し去らなければならないもの、となりますが、その考え方自体が人間の勝手な都合ということになります。

 

 

そういう意味で、人間に信仰心は必要だと思ってますが、特定の宗教や思想を信じる必要は無いと思ってます。

 

今までの歴史を見ると、特定の宗教や思想、神さまを守るため、それ以外の神さまや思想は悪として、人々は無用な争いをしてきました。

 

なので、信仰の取っ掛かりとして特定の宗教や神さまに帰依するのは良いのですが、いずれ精神的に成長したら、そこから卒業し、人々を導くような存在に自分自身がなること・・・それが大事だと思います。

 

前にも書いたけど、結局は自分の心次第です。

自分さえ良ければいいとか、自分さえ助かればいいと思って祈ると、どんなに立派な神さまの前で祈っても、器の小さな低級な霊とつながってしまいます。

 

反対に位の低い神さまに祈ったとしても、自分の心が成長していれば、もっと上の神さまとつながるということです。

 

そしていずれは、自分の思うこと、考えること、それ自体が祈りとなるように、大きな存在の意思と一致するようになっていけたら良いですね。

なかなかそこまで到達することは難しいかもしれませんが・・・

 

ままならない状況の中で、あくまで表面的な自我の欲求を満たすことを優先させるか。

それとも、周りの人も幸せになるように祈りつつ、感情の奥底にある「本当の自分」の意思を実現できるように良心を貫けるか。

この辺は本当に難しいなと思います。

なんだか、いつも「難しい」って言ってますが(苦笑)。

 

いずれにしても、どんな選択をするか、あるいは選択をしないという選択をしても、必ず後になって結果は出てきます。

どんな結果になろうと受け入れ、悔いの残らないように人生を送れたら良いですね。