こんにちは。
今週は仕事が忙しくて、なかなか更新できません・・・が、がんばって更新します^^
このブログで何度か書いてますが、人生の目的の一つは、対立の統合を果たし、心に光を取り戻すことです。
人間の心は物質的なものに向かう力と、霊的・精神的なものに向かう力の狭間にいます。
常に両者の間で葛藤するわけですが、心はそれを統合するように働きます。
個性化と言うのは、心は統合を果たす方向へ向かう(自己実現する方向へ向かう)けど、一人として、同じ人生を歩むことはない。
人生、つまづくのは当然です。
それが人生なのだから。
けど、つまづいて傷ついていく中で、人は成長していくのでしょうね。
ツインソウルやソウルメイトのように深い縁があって、愛し合うような関係だと、心の振れ幅も大きいでしょうし、学ぶことはたくさんあると思います。
傷つくこともあるかもしれないけど、そういう経験ができるだけでも幸せだなぁと思います。
おじさんになると、しみじみそんなふうに思います(笑)。
さて、ともすると、人は肉体(物質)と結びついた感情に陥りがちですが、実際はらせん階段を昇るようにゆっくり精神的な成長を遂げていると言われます。
この肉体という衣は本当に厄介ですが、肉体があるからこそ、いろいろなことを学ぶチャンスとも言えます。
結局、この世界をどのような方向へ進めるかは、人間が鍵を握っています。
神様が進む道を決めるわけじゃない。
道は示してくれるかもしれないけど、それを歩むかどうか決めるのは人間自身です。
人間は肉体という衣を着て、さらに人間の心を衣として着た存在がいて、それがいくつも続いて心の中に光の存在がいます。
神様は天の上にいるわけじゃなく、心の深い場所にいるのだと思います。
子供の頃、よく歌ったかごめの歌・・・
「か~ごめ~ か~ごめ~
か~ごの中のと~りいぃはぁ~
い~つ~い~つ~出~や~る~・・・」
子供の時は意味も分からず歌ってましたが、実は深い意味が込められているんですね。
鳥かごは肉体のこと。
鳥は心の大切なもの・・・魂を表していると思います。
それを解き放つことができるかどうか、この歌は表現していると思います。
「うしろの正面」や「夜明けの晩」というのも、矛盾してるなぁと思ってましたが、心の奥底にいる存在こそが心を照らす存在だと考えたら・・・意味がすーっと通るような気がしませんか。
「鶴と亀がすべる(統べる→統率する)」
鶴・・・飛び立つもの。精神的な成長を実現しようとする力。
亀・・・地を這うように歩くもの。物質化の働き。
鶴と亀の両方が統合されないと、うしろにいる正面は出てこないようです。
この世界では肉体を通して、精神的な進化を学ぶようにできています。